休職 diary

休職中の日記です

お散歩

病院に書類を出しがてら、お散歩してきました。

 

 


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にゃんこ発見!

 


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またまた発見!

 

書類は1週間後に取りに行くことになりました。

 

帰りは大回りしてあまり行ったことないほうへ。中学時代に夏期講習に通った専門学校が大学併設に変わり、建物が立派になっていました。夏期講習といえば芸能人になる前後の渡辺満里奈さんが同じクラスにいて、可愛かったです。

 

帰りはなんとなくこっちに行けばうちだろうと、てくてく戻りました。またいつものにゃんこ一家にも会えたのでラッキーでした。

 

こどものほつれた服もなんとか縫えて(手縫いなのでやる気が湧かずに頼まれてから2ヶ月くらい放置)しまっていた扇風機も組み立てられたし、回復してきたと感じていたら、下の子が「お肉買ったし冷しゃぶパーティやらんけ?」と方言丸出しで電話してきました。

 

さらっと言いますが、お互い真反対の県境付近に住んでいて、電車を乗り継ぎ片道1時間ちょいかかります。しかも今回は私が出向くパターンです。

 

今日妹と話していたのですが、うちの子は私がこうして病気でいるにもかかわらず、私のことを頑丈で強くて不死身だと思っているのではないかと。確かに強いけど。

 

私達も父に関してそんな感じだったので、血は争えないと思いました(笑)また電話が来て、今日来るのが面倒くさければ明日でもいいというので、そうさせてもらうことにしました。

 

そう言われなかったら、せっかく声かけてくれたし、と出かけていたところです。そういうところも病気になる原因なのかもしれません。今日は3Kmくらい歩いて疲れたので、明日にしておきます。

 

1年前の私は大人1人に車を1台ずつ持つような、交通が不便なところに住んでいました。どこでも車で移動。たとえ3Kmでも歩くなんてなかなか考えられない生活を20年くらい過ごしていましたが、人間慣れると歩けるもの。

 

それにしても都会の人ってよく歩きますね。転勤してから3ヶ月くらいで受けた健診。通勤で毎日2〜3km歩くも体重は変わらず。それでもコレステロール値が下がりました。

 

そのあと病気であまり食べなくなったのもありますが、体重が半年弱で6〜7㎏減りました。今検査したらどんな数値が出るのかしら。

 


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泣きすぎて頭が痛い

西城秀樹さんの特番を見ました。西城秀樹さんといえば、私の中ではヤングマンの歌であるとか、父と同じ広島出身であるとか、しぐさが似ているとかでなんとなく勝手に親近感を持っています。

 

唐突ですが、なかなかイケメンな父でした。母はすっぴんで八代亜紀さんに似ていました。家族の欲目だと思うけど、なかなか美男美女の元夫婦。性格はちょっとあれでしたけど。

 

親バカな母は私たち姉妹全員のことを本気で可愛い顔と言っていたので、おめでたい私は自分は少なくともブサイクではないと信じて大きくなりました。ズウズウシイ。

 

異父妹の下3人は母の因子が強いのか、目鼻立ちが特にハッキリしていて可愛いです。父は母の面影がありつつ、母と違い優しくしてくれる異父妹たちが好きでした。普通自分の母親の前夫とか会わないと思うんですが、妹たちは母の死後から父と交流があったので、父のお通夜や告別式にも来てくれました。

 

母の再婚相手も父とは会ったことはないものの同士みたいな感覚があるようで、父のことを妹たちに聞いて「立派な闘病だった」と言っていたそうです。性格や思想も似てるところがあるのは、母の好みなんでしょうね。

 

さて 昨年7月にこちらに戻ってから、少しずつ変化していく父の姿を見てきました。表情が変わったと思ったのは10月始め頃。妹に言ったらピンと来なかったようですが、確かに変わりました。目の輝きがないと言うか。動作も緩慢になり、疲れやすくなりました。

 

闘病中の晩年近くの秀樹さんの表情が、その頃の父と同じでした。父も私たち娘たちもどこか能天気で、抗がん剤の副作用で止めたら治るだろうと思いこんでいましたが、そうじゃなかったようです。番組を見ていたら西城さんのご一家と我が家が重なって見えて、みんながんばったなと思ったら、ずっと泣いていました。

 

両親と4人家族だった頃の楽しかった出来事を、ヤングマンと共にたくさん思い出しました。私の思った形と違いつつも、両親なりに愛してくれていたと気づいて、また涙が出てきました。なにしろ自分は生まれてきたらいけないって思い込んで生きてきたので。

 

さっきも珍しくドラマを見ながら、また感情移入して泣いてしまいました。私は悲しくても嬉しくても、怒っても感動しても泣きます。社会人としてはちょっと不便な仕様です。こどもの頃もからかわれたり、怒られてかなり困っていました。きっと明日は目が腫れています。

 

 

大きな決定をしたり、目の前の大きな課題に挑むとき。感情が抑えられてしまうのかもしれません。感じていたら先に進めなくなるから。父の亡くなる前後は仕事の引継ぎと両立しながらやることがたくさんで。そのあとは仕事で自分より周りを優先して、感情を無視して病気になるまで働いてしまいました。

 

父より10歳歳下の西城秀樹さんの訃報を通して、半年近く経ってやっと父のことを偲ぶことができるようになったのかもしれません。今療養中でひきこもりかつ、ひとり暮らしなのをいいことに、派手に感情大放出しています。

 

 

落ち着いていた昼間。人事の仲の良いお姉さんに、給与明細や傷病手当について問い合わせの電話をしました。すごく心配してくれていたそうで「声が聞けて泣きそう」と言ってくれました。会ったことはないけれど、前の支店のときから電話や社内メールでやりとりをしていたお姉さんです。

 

電話だとメールアドレスってうまく伝わらないですよね。回り道ですが前の支店の子もお姉さんと仲良しなので、彼女を通して個人の携帯アドレスを連絡したら、終業時刻のすぐあとにお姉さんのおうちのにゃんこ写真つきで、優しいメッセージを送ってくれました。 

 

私は恵まれているなと改めて嬉しくなり、また職場は相変わらず大変なようで申し訳ない気持ちにも。なんとか改善できるといいのですが、今の私はあまりにも無力です。

 

 

あと傷病手当は申請してから、いろいろ審査されて2ヶ月くらいで振込だそうです。早くクリニックにいって書類仕上げて送りなねってお姉さんにアドバイスされました。参考にしていただけたら幸いです。

 

 

 

 
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元夫宅にいるにゃんこ。

無防備にもほどがある。

 

 

明日はお給料日

明日はお給料日。今月は働いていないので支給は当然ゼロ。(私の会社は当月払いです)

でも先払いでもらっている定期代の返金や社会保険料などの控除があります。

 




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控除金額のほうは会社が立て替えてくれていて、あとでこの金額を会社指定の口座に振込するのか、傷病手当と相殺されるのかでしょう。経理や営業事務とあわせて支店の人事総務関係も担当していたので、なんとなく流れがわかります。

 

明日人事に確認して、健保組合に傷病手当の申請もしようと思います。傷病手当も病院で診断書というか証明が必要で、それが私の会社は自己負担になります。休職届と傷病手当申請の診断書だけで毎月6000円+消費税は地味に痛い出費ですが、出さなければ収入がなくなってしまうので、仕方ないですね。ちなみに傷病手当は平均報酬月額の2/3程度が支払われます。

 

精神科の治療に通う人は治療も長くなりがち。なので公費負担制度なども利用して、保険負担分の経済的負担を減らす工夫もありだと思います。私はお薬もジェネリックにしています。

 

さっき上の子から電話が来ました。干支の根付が届いたそうです。そしてお財布は落としやすいので持ち歩かず、最低限のお金しか持たないようにしたとのことでした。管理してくれる頼れる人が周りにいてなによりです。

 

また休職延長と控除の話をしたら辞めたらいいじゃんとあっさり。なんなら孫の面倒見てよと結婚もしていないのにいいます。

下の子は歳も歳なのだから、次が決まらなきゃ辞めるべきじゃない。辞めるならここは物価が高いし友達もいいて、元夫のいるこどもたちの生まれ故郷に帰ったら?と。

出身はここだし、下の子がまだちょっと心配だからできれば近くがいいんだけど^^;

妹や友達は長い間働いてきたんだし、まずゆっくりと休もうと言ってくれます。治療しているあいだは大きな変化も影響しますしね。それにしても反応がそれぞれで面白いです。

 

 

今月はマンションの火災保険の年に一度の支払い月だったり、来月はたくさんいる妹たち(異父妹含めて4人)が家族を連れて、父方の従妹や下の子も来て集まったり、上の子のお店のオープンがあるので出費も多そうです。楽しくてしあわせな出費だからいいか。生きているから会えて使えるんですものね。

 


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夏の空になってきました。

 

 

不安は生きるちから

昨日の診察のあと、普段行かないコンビニに寄ってみつけて買った本。

 


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不安を悪者にしがちだけど、生きていくには必要な感覚だとお友達のカウンセラーのお姉さんが言ってました。

 

森田療法をもとに書かれてたもので、イラストをたくさん入れてあって(←ここ大事なポイント)参考になって私には良い本でした。森田療法って言葉は知っていたのですが、字ばっかりだと頭に入らないと思っていたので、ありがたい。

 

元気なときは不安からいろいろ調べて、最善のパターンと最悪のパターンを想定しながら行動していました。臆病なくせに好奇心旺盛なので(笑)また母が亡くなって、人はいつ人生が終わるかわからない。それならやりたいことをやってみようと心がけてきました。父もそういうタイプの人でした。

 

病気になると判断がつきにくくなるので、回復したら&元気だけど不安を感じがちな方にオススメなのかな。

 

必要な人に届きますように。

 

おやすみなさい。

 

 

まだなんだな

てくてく歩いて過ごした先週と先々週。

 

日曜、月曜は部屋でぼーっと過ごしました。少しだけ家の周りを散歩しました。本を読もうとしても気力がわかなくて、内容が頭に入ってきませんでした。

 

休職3ヶ月目。そろそろ復職の準備でもと思ったのに、3歩進んで2歩下がっているような、3歩進んで3歩戻っているような、そんな気持ちに囚われます。

 

お薬はちゃんと飲んでいるし、たっぷりと休養もしてご飯も少なくとも1日1食は食べている。なのに頭にはなにやらベールがかかっているような、孫悟空の輪がはめられているような。うつ病じゃなくてただの怠惰なんじゃない?と自分責めが始まってあんまりよくない感じ。

 

出かけるとお金も使うし、いつのまにか結構出費していて驚きます。働いていないのだから、そんなに使っている場合じゃないよと心の声が聞こえてきます。

 

だけどずっと引きこもっていると、それはそれで病むし、外に出ればお金がかかるもの。こどもにもちょっとだけどなにかしてあげたくなる。

 

今、ネイルをしています。それは爪をむしってしまったり、指の皮をむいてしまうのを防ぐためだけど、自力で改善できないことも情けなくなります。

 

 


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 占いするくらいなら、カウンセリングを受けてみたら?と言われたり、もっと自分の直感を信じてみたらと言われます。

 

 

なにをどうしたらいいのかわからないや。どうしたら楽になれるのかな。喉元辺りが苦しくなって、なんだか涙も出てしまう。大好きだった鉄人衣笠さんが亡くなり、次はヒデキまで。あのほうれい線と口元が似ていたのもあって、父の最期とかも思い出し情緒不安定でした。

 

そんな気持ちで受診してきた結果、来月もひと月休職を要するとの診断書。仲のいい人と会ったら翌日はのんびりする。なにか用事をして出かけたら、2日間休む。近所をお散歩がてら買い出しに出る。そんな感じで過ごしてみようかと先生に言われてきました。

 

考えてみたらずっと寝ていて体力が落ちてるし、療養中なんだから動けば疲れますよね。

 

今日も同行してくれた妹が先生にカウンセリングとかどうかと聞いたら、クリニックに心理士もいるけど、カウンセリングとか頭を使うことはまだやらず、まず2週間様子を見てみようかと言われたので、守ろうと思います。

 

会社に提出する診断書のニュアンスが少し変わっていました。一歩前進かな?できなくなったことを嘆いてしまうけれど、休職してからできるようになったこともありました。そこに目を向けていこう。

 

今週はもう予定がありません(笑)お酒はやっぱりダメと薬剤師さんに注意されたので、我慢です。

 

 

 

 

てくてく歩く

何人かの方のブログを購読させていただいている中に、そうか!と気づかされる記事があった。

 

7割の力の話。あれは元気なときが基準で、今はそれより力が落ちている。なので元気なときの5割なら今の自分に出せるのは35%くらいと書いてあった。確かに基準が違っていることが念頭になかった。そりゃあバテるわけで。教えてくださってありがとうございます。

 

さて今日は気に入っていたTシャツがボロくなったので、買い替えることにした。ゆるすぎず、ピッタリしすぎず首周りは開きめで、できればUネックかVネック。生地は厚すぎず薄すぎず、と我ながら面倒くさい。

 

本当はスニーカーとパンプスとサンダルも寿命で探しているところだけれども、なかなかしっくりくるものがない。それと休職していて収入が減るし外出の機会も少ないので一度に買い換えなくてもいいや、なんて気持ちもある。

 

スニーカーはコンバースのローカットのような形で、キャンバス地ではなく合皮素材のものを愛用していて、同じようなものを探している。パンプスはベージュ系の色でつま先が尖りつつ、身長が高めなのと足が痛くなるのでヒールは低めが希望。サンダルは今のものがとても気に入っていて、でも年代物なので同じタイプは見つからない。

 

前からこんなにこだわっていたわけではなく、たまたま直感で選んで気に入ったもの、周りから好評だったもの、ダメだったものたちの傾向を探ったところ、そんな感じになった。

 

若いとお肌の張りや勢いでたいてい着こなせてしまう。それが歳を重ねると着こなせなくなっていく。だから似合うと言われたものや、自分でもいいんじゃない?と思うものを定番にする。いちいちあちこち探したり選ぶのに時間がかかるストレスも省きたい。

 

だから定番を決めたり、使えるものは代用できないか考える。ちなみにうちのお鍋は深型の大きめなフライパン。それで煮るし、炒めるし、揚げる。まな板は牛乳パックをひらいたものを使うこともある。

 

離婚で一度断捨離して、昨年の引っ越しで部屋が3DKからワンルームになり、さらに断捨離した。自分が亡くなったら家族に迷惑がかかると考えたからだ。そういう理由で離婚と昨年の引っ越しのあいだに生前整理アドバイザーの講座も受けた。

 

この講座で勉強したことは、父のときにも役に立った。できればもっと早く父と一緒に取り組めたら、父の周りはもう少しいい環境にできたかもしれない。ただ父はおととしまで自分の部屋に実の娘たちも入れなかった人なので…。あと父は私とは対称的。父は自分が亡くなるなんて全然思っていなくて、遺言も何も準備もしていなかった。

 

去年の今頃、父の入院中に妹と大掛かりな片付けをしたので、そこで父の状況や思いが伝わった。財産がないのもわかった。片付けることが最優先で父の意向は二の次だったので、退院してから珍しく喧嘩をした。

 

妹はこどもの頃から父とよく喧嘩をしたけれど、私は2人の仲裁役になることが多く喧嘩をしたことはあまりなかった。あとから思えば喧嘩もいい経験だった。生きていなきゃできないのだから。

 

無事にTシャツは買えた。オマケでよくお財布を落として警察から心配されている上の子に、干支の根付を見つけたのでそれも買った。鈴が鳴ったら落としたときに気づくかもしれないので、お財布につけないかな。つけないだろうな。でもいいや。母の自己満足。

 

 

 


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 今日は地元でたくさん歩いた。

もう少し早く回復すると思っていたのにな。

(´д⊂)‥ハゥ

 

 

 

チャレンジ

前回の記事はここ一年のことを忘れないようにと書いたら、ものすごく長くなった。なんとなく文体もいつもと変えてみたりしたら、さすがに疲れて書いたあとは寝て過ごした。

 

療養に入り3ヶ月目になり、今週はお天気のいい日はなるべく用事を作って少しでも外に出て人と接してみようと計画した。ひとつの用事にかかる時間は1時間程度。移動は徒歩か慣れた電車で行けるところ。体調を見てダメそうならキャンセルするとルールを決めた。

 

時間を短く設定したり、楽しい時間だとしても、今までほぼ人に会わず寝て暮らしていた身にはハードだった。出かけるとなると簡単でもお化粧をするし、服も選ぶ。そして人と会えばしゃべる。

 

元々いろんな人としゃべるのは好きなほうではあるけれど、あれこれ相手の反応を見ながら話すのはまだ疲れるみたい。今日はご飯を食べていないことに気がつき、帰宅後食べたらそのまま床で寝てしまっていた。

 

そのあいだに夢をまた見た。引っ越した部屋に今の冷蔵庫のほかに空の謎の冷蔵庫と保管庫があったり、娘が帰省した先から電話をしてきたり、知らない人から言われたことを勝手に批判されたと受け取って、気分が悪くなった夢。

 

起きて考えたら特に批判ではなかった。どこか引け目を感じるから、そう受け取ったのだろう。この頃いろんなところに引っ越す夢をよく見ている。引っ越しの夢のときはいつもこどもたちが登場してなんだか嬉しい。

 

リアルでは今日の外出中に上の子から電話が来た。懸案だった件は知恵と勇気を出して、周りの人に助けてもらいなんとかクリアできたという。銀行や社労士の人ににいろいろ聞いて、今の会社の社長が保証人になったり、いろいろと便宜を図ってくださったと言っていた。

 

親があてにならないことが効を奏した。債務整理した父とうつ病休職中の母では本当に役に立たないものだ。ただそれを糧にはできる。思えば自分も親があてにできず周りの人に助けてもらい、いろんなことを覚えてやってきた。

 

妹があのし烈な環境で育てられたおかげで、強く逞しくなれたと言っていた。私はこのようにメンタルが弱いところもあるけれど、大抵そうなるのはなんでも自分で解決しようとした結果だと気づいた。

 

上の子は親元を早いうちに離れていろいろとやってきた。異例の早さと若さで店長に抜擢されて、プレッシャーで潰れて逃げたこともある。会社を辞めて都会で働いて地元に戻ったときに、また受け入れてくれたのも社長だった。息子にとって社長は(かなり厳しいところもあるようだし若いけれど)私にとっての義父母のような存在だろう。

 

あのとき上の子から「逃げてもいい。やめてもいい、失敗してもいい。それでも世界は優しい」と身をもって教えられたことを思い出した。

 

さて、父のことは前の記事に長々と書いたけれど、気心の知れた妹や親戚やケアマネさんたちがたくさんフォローしてくれていたので、きつい場面が多かったわりにダメージはほぼなかった。闘病が長かったのでもう痛くも苦しくもなくなってよかった。寂しさはあるものの、みんなで送り出せて安心した。

 

そこで余力ができたと勘違いした。仕事は7割の力でやるといい、とあとでどこかで聞いたけれど、150%くらいでやってしまった。努力しないと人並みにはできない前提で、30代の頃と40代後半では同じことは体力的に無理なのに気づかず、こうなったのだろう。どうしたら7割でできるのかを知りたい。

 

次の通院は来週。どうなるのかな。

 


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渦巻きのかまぼこ(板なし)と七越粒あんをゲット。カウヒーは買うのを迷って断念。好物の鱒ずしは売り切れて残念。